第13話(最終回) 国家試験と卒業

ドイツのパン職人になるための国 家試験(卒業試験)に向けて、 職場では、2001年6月から朝のシフトに異動しました。 というのは、ここ半年、私はお菓子作りや白パン作りから遠ざかっていたため、 試験前にもう一度勘を取り戻したり、お菓子のマイスターからいろいろなアドバイスをもらう必要があったのです。

パン職人の試験ではありますが、私達にはケーキのデコレーションという課題があることが分かっています。 正直言って、私達からすると、「それはお菓子職人の仕事だ!」と思うのですが、 やはり、一般のお客様はパン屋でケーキが買えることは普通だと思っていますので とにかくドイツでパン職人になるには、お菓子職人の何倍も時間がかかったとしても、クリームで美しくデコレーションができないといけないのです。

私は、お菓子マイスターに偽物のクリームを作ってもらって木でできたスポンジ台(練習用にあるんです)を相手に、 仕事の後は毎日毎日クリームを塗る練習をしました。
家では、教科書や今まで学校でもらったプリントを要約したり、 これまでやった小テストをやり直してみたり、とにかく後悔はしないように、試験準備を進めました。

2001年7月5日午後2時より4時間、実技試験がありました。
作るものの量は、職場と比べると少ないんですが、ひとつひとつをできるだけ100%完璧に仕上げないといけないので、とにかく精神的に疲れました。 試験官はあら捜しが仕事ですから、要求される完璧度がとにかく高いのです。 家に帰って来たら、もうぐったり・・・・。

実技試験にありがちだと思いますが、
「練習ではあんなに上手に出来たのにーーーー!」なんていうシチュエーションもあったりしましたが、
私用の課題リストの中に
「やばいっ!これはちょっと不安。」
等というのは全くなくて、スイスイと作っていくことができました。
課題というのは、4時間の間に作らないといけないものが書いてあるのですが、
レシピは書いてあっても作り方は全く書いてありませんし、
「ストレート法でないやり方で作ってください」とか 「このミッシュブロートは型に入れません。」
とかいう条件が更に付け加えてあります。

ついでに、作ってみて気づいたんですが、レシピ通りでもダメなんです。 というのは、水分等、粉の状態やいろいろな状況で分量を変更しなければいけないものについては、レシピには必ず多めに書いてあったりしました。 パンでもお菓子でも固さを見ながら作ったらいつもちょっとだけ材料が余ったんです。 成形していると、試験官が来て生地の固さをチェックされたりしましたから、あのレシピはわざと間違い易いようにしてあったのだと思います。

実技試験の手応えは、4でした。
3にしては私は上手過ぎたと思うし、5といえるほど全てが思い通りに仕上ったわけではないですし。 でも、とにかく、実技に自分自身満足していました。 練習もできるだけやったと思うし、結果がどうであれ、それが自分のパン職人としての技術評価なのだと思ったからです。

その後の筆記の一次試験(政治、経済、社会、専門計算)を経て、 8月27日、ドイツ全国統一の製パン理論の筆記試験がありました。 お菓子や、普段使わない機械についての設問は難しかったものの、 85点以上は取れたような気がしました。 とにかく、試験が全て終わりました。後は結果を待つのみです。

と、翌日には速達で合否結果が届きました。
合格!
あぁ、2年間の努力が報われました。本当に本当に嬉しかった!
夫、両親、義父母、そして職場にすぐに連絡しました。
同僚であり、職業訓練校ではクラスメートであるエディも合格したとのこと。良かった!
彼は、合格通知をもらった直後に、例の修業報告ノートを焼き捨ててしまったそうです。(笑)

私の修業も8月31日をもって終了しました。 職場からは、職人になっても続けて欲しいと何度も言われたのですが、 私達夫婦は、ベルリンから引っ越す予定になっていたので、お断りしました。

9月下旬に、組合主催の卒業パーティーがあるという連絡を頂いたのですが、 残念なことに、2年半ぶりに日本へ里帰りするための航空チケットを買ってしまった後でした。 夫が代わりに出席してくれたのですが、なんと!私は2001年の卒業試験、ベルリンでトップの成績だったということでした。 組合の偉いマイスターに呼び出され、夫が代わりに賞金、奨学金、賞品をもらってくれました。

私は、今後5年の間に(ベルリンで)マイスター試験を受けるのであれば、 組合から、マイスター養成コースの授業料と試験費用を半分援助してもらえるのだそうです。 マイスターになるためには、3年間職人としての経験が必要なのですが、現在スイスでパンを焼く私に、その資格は訪れる予感はあります。 何百万円かの半分を援助してもらえるというのはやっぱり見過ごせませんが、5年後、私はベルリンにいるのでしょうか。

とにかく今は、アルプスの空を眺めつつ、1日1日の仕事を丁寧にやって、 これが将来の何かに繋がっていけば良いな!と思う毎日です。
これで、私の修業時代のお話は終わりです。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。