第12話 ドイツのBIO

新しい職場は、ベルリンにある BIOのお店やカフェ、ホテルなど約 70軒にパンを卸しているBIOのパン屋で、 1個1000gの大きなパンを前日の夕方から深夜にかけて焼き上げ、 バゲットや食パンといった白いパンや、小型のパンを朝2時から焼き上げるというシフト構成になっていました。

大きなパンというのは、「ドイツパン」というイメージそのものの黒くてどっしりしていて、ちょっと酸味のある全粒粉のパンのこと。 繊維質の多いこのようなパンは、水分が抜けるのが遅いため、とても長持ちします。 缶などに入れて上手に保存すると1週間くらい美味しくいただくことができます。 このようなパンは、冷めるのにも時間がかかります。 配達までにパンの熱が取れていないといけないので、半日前から作り始める夜シフトの仕事。
一方、白いパンや、小さなパンというのは焼きたてがやはり一番美味しく、老化もとても早いので、 配達の数時間前に焼くということで、朝のシフトの仕事になっていました。

私は希望通り、大きなパンの担当である夜のシフトに入りましたが、とにかく、単位の多さにびっくりでした。 マイスターの所での大きなパン作りは、だいたい1日20~30個だったのですが、 ここでは平日で700~800個、週末にかけてはもっと増えて 1200~1300個作るのです。 そして、1日に作る大きなパンの種類は、約15種類。 日替わりのものもあれば、毎日作るものもあります。
週末は作る量が増えるので、もちろん時間はかかりますが、 種類が増えるわけではないので、作業する人数はそのまま。だいたい毎日4人でパン作りをしました。 お菓子職人の友達も言ってましたが、同じ種類を1個作るのも50個作るのも、手間はたいして変わらないんです。

私がこのパン屋さんへやって来たのは、ヨーロッパ中が狂牛病で騒いでいる時でした。 その上、ドイツで狂牛病の牛が発見されて、消費者の肉食離れ、 一般の家畜農家への不信が高まっている時だったので、 BIOのお店はどこも大繁盛。 BIOの売上は2倍以上に跳ね上がり、BIOのお肉屋さんの売上はそれまでの実に4倍に達したそうです。 それまでBIOのお店に入ったこともなかった人達が、 BIO食料品の美味しさに目覚めました。 BIOのお店でついでにパンを買ってみた人が「美味しい!」と思ってくださったのでしょう。 工房で作るパンの数は、日に日に多くなっていました。

ドイツでは、クリスマス、お正月といった特別な日には、白いパンの需要が増えます。 現在では、むしろ全粒粉のパンの方が値段が高かったりするのですが、 昔から白いパンは「高級」というイメージがあるのです。 日本でも、今では健康のために麦飯や玄米を食べる人がいますが、イメージで言うとやはり白いご飯は「高級」な感じがします。

ということで、私達の店でも、クリスマスには例年通り黒パン需要は減る、という予測のもとに、 シフトのリーダーは実家に帰省してしまっていたのでした。
ところが、蓋を開けてびっくり! 2000年のクリスマス、2001年のお正月は、黒いパンでも白いパンでも関係なく、とにかくBIOのパンは売れに売れたのでした。 もちろん、私達は毎日毎日残業で、クリスマスの前には、休憩する暇もなく実に11時間動きつづけていたので、 さすがに仕事が終わった時には、みんな無言になってしまいました。

しかし、このBIOブームはとどまる所を知らず、2001年3月まで注文は右肩上がりに増えて行ったのでした。 マスコミは、狂牛病、豚肉スキャンダル、危険なサーモン・・・ なんていう記事を書いては、次々と消費者の不安感を掻き立てていたのですが、 次の見出しは
「BIO関係者過労死!」 → 「BIO職員死亡、BIOも実は危ないのか?!」
なーんてことになるんじゃないかと思うほどでした。

ところで、BIOブームでの大変なことばかり書いてしまいましたが、私は転職して本当に良かったと思っていました。 なんと言っても、同僚が皆とても熱心な人ばかりで、何気ない会話からも本当に勉強になることが多くありましたし、 私の苦手分野だった、黒パン、ライ麦パン作りが好きになりました。

さて、職業訓練校では、2001年に入って早速、夏の国家試験の話が出るようになりました。 最初は、やんちゃ坊主ばかりという印象だったクラスメートも、ずいぶん頼もしくなりました。 彼ら、勉強はあまり好きじゃないみたいだけれど、実習になると本当に生き生きして、まじめで、かわいい子達です。 夏の試験に落ちてしまうと(毎年30%弱落第します)、修業を半年長くしなければいけなくなりますので、やはり皆真剣です。

そして3月、ついに卒業試験の申し込み案内が告知されました。
さまざまな書類のほか、弟子に毎週書くことが義務付けられている「修業報告ノート」、 マイスター(私の場合は女性のシェフだから、マイスタリン)からの承諾書などを、パンの組合に提出します。
あの時は、私の修業報告ノートがクラスで回っていたっけ(笑)。 夏休みの最終日に、4週間分の日記を書くようなものですね。