1999年8月
場所: Zoo駅
被害者: HIRO/Habibi
先日、迷子を拾った。
暑い夜のこと。特に用事もなかったので、バスに乗ってツォー駅(註1)辺りまで 出ることにした。久しぶりに映画でも見ようかな、と思いながら駅の構内を歩いてい ると、突然、韓国人の女の子に英語で話しかけられる。
「《ワルシャワ》ニイキタイ、ドウイクノ?」
最初は、東ベルリンにある《ワルシャワ通り》にでも行くのかと思ったのだが、ど うも《ポーランドのワルシャワ》に行きたいようだ。妙に切羽詰まっている。ところ が、その時はすでに夜の11時をまわっており、最終電車は出た後だ。しかもドル札 しか持っていない。どう考えても、翌朝まで待たねばならない。そのことを繰り返し 説明するのだが、彼女は英語もろくにできず、一向に通じない。向うも何とか事情を 説明しようとするのだが、興奮していて要領を得ない。
きれいな顔立ちの子だった。背も高く、モデルのような感じだ。歳は見たところ二 十歳前後で、荷物といえば大きめのハンドバックが一つ。なんだか怪しいなあ、と思 いながらも、目を真っ赤にしながら何かを必死で訴えかけてくるので、仕方なく同じ 寮に住むコリアンのところに連れて行くことにした。彼女をなだめすかしてバスに乗 せ、来たばかりの道を引き返す。友人に引き合わせると、安心したのか雪崩を打った ように事の詳細を話し出した。
それによれば、彼女は母親とヨーロッパを旅行中であり、ベルリンにはエスペラン ト語(註2)の世界大会に参加するだけの目的で寄ったようだ。その後はポーランド に向かって、そこから韓国に帰国する予定だったのが、ベルリン滞在中に母親と大喧 嘩をしてしまい、着の身着のまま飛び出してきた、とのこと。なぜかワルシャワ発ソ ウル行きの航空券は持っているのだが、所持金が僅かしかなく、ワルシャワに行くの にはとても足りない。これは母親のところに返すしかない、ということになり、友人 と二人で説得するのだが、彼女は「ゼッタイ、カエラナイ!」の一点張り。ホテルの ある通りを尋ねてみると、これがまたリヒテンベルクという、いい噂をあまり聞かな い東の地区にある。それもずっと端のほうで、そんな夜中に足を踏み入れるのはでき るだけ避けたいような場所なのだ。かといって、途方に暮れる彼女を無神経に放り出 すわけにもいかず、結局その夜はそこに泊めることになってしまった。友人にはかな り睨まれたのだが……。
次の日、友人は朝から何とかワルシャワにたどり着く方法を探ってくれたのだが、 八方手を尽くしたにもかかわらず見つからない。最後には、韓国領事館にまで足を伸 ばして金を借りようとしたのだが、それもダメ。万策尽きて、今度はこちらのほうが 途方に暮れてしまった。これ以上、友人に迷惑をかけ続けるわけにもいかず、意を決 してまた説得をはじめることにした。ところが、この娘がなかなかの強情者で、少し も自分の置かれた状況を把握しようとはしない。どうも、相当に甘やかされて育って きたようなきらいがある。訊ねてみると、かなりいいところ出のお嬢様らしい。父親 は神父だと言っている。韓国で神父というと、間違いなく上流階級に位置する職業に なる。これはとんでもない拾い物をしてしまったようだ。
個人的に、どんな人物が相手でも説得するのにはある程度自信があったのだが、こ の娘にはほとほと手を焼いた。こちらがかなりキツイ口調で母親のところに帰るよう に言っても、ただただ子供のようにダダをこねるばかり。歳は予想通り二十歳だった のだが、それにしてもワガママが過ぎる。友人の部屋での振る舞いも、なかなか見上 げたものだった。最初に禁煙だと告げてあるのに、平気でスパスパと煙草をふかす。 見知らぬ男の部屋だというのに、わがもの顔でベットに横になってテレビを見始める 始末。こちらに対する感謝の言葉ぐらいあってもいいのに、それさえもない。二人と も、いい加減このじゃじゃ馬にはキレかけてきた。
三人で夕食を取りながらあれこれ説得を試みている間に、その日もだいぶ遅くなっ てしまった。もうこうなったら夜が明け次第、無理矢理でもいいからホテルに連れて 帰るということで友人と話が一致したその時、電話が鳴った。
ドイツ人の友人からだった。彼にそれまでの経緯を一通り話してみると、「お前ら アホか!何でもいいから、そのバカ娘をとっとと親のところに連れ戻せ!」と一喝さ れてしまった。なんでもこの場合、すでに母親から捜索願が出ていれば、これまでわ れわれのしてきた行為は《誘拐》とも取られかねないのだそうだ。彼女は未成年では ないのだが、一度警察ざたになってしまうと、こちらのほうが常識的に言って不利な 立場になってしまうとのこと。ドイツの法律においては、少なくとも行方が分からな くなってから26時間以内に、連絡なり連れ戻すなり、何らかの措置を取らないと犯 罪者に仕立て上げられる危険性がある、とそのドイツ人はドラマチックに脅してくれ た。ちょっと大袈裟な話だな、とも思ったのだが、自分の部屋に彼女を泊めてしまっ たコリアンのほうはもう芯からビビってしまい、その場でこの問題児の強制送還を決 行することと相成った。
まだ納得のいかない様子の女の子を自分達以上に怖がらせ、何とかタクシーに乗せ てホテルへと向かった。タクシーのなかでも、彼女はなかばパニックに陥って、母親 に対する不平不満をとうとうと繰り返すのだが、もう耳を傾ける気力すら起らない。 なんとか無事に彼女をホテルまで送り届けると、まさに逃げ去るようにその場を後に する。二人とも不思議なくらい解放された気分になりながら、バスを乗り継ぎ、家に たどり着いた頃にはすでに午前四時近かった。今週のキーノ・ターク(註3)を逃し てしまったことも、この時になってようやく気づくのである。
コリアンの話によれば、彼女は現在、ワルシャワにいる。うっかり電話番号を教え てしまった彼のところには、行く先々から助けを求める電話がかかってくるそうだ。 あの人騒がせなお嬢様は、今でもすきあらば脱走するつもりでいるという。少しも懲 りていない。
今回は悟った。まったくもって《情けは人の為ならず》、である。
註1) 【Bahnhof Zoo】 旧西ベルリン最大の駅。西ベルリンの繁華街 – クーダム(Ku’damm)- に近いため、現在も交通の要所になっている。駅名のツォー(Zoo)とは動 物園の意味で、すぐ側に有名なベルリン動物園がある。
註2)【Esperanto】 ポーランドの医師、ザメンホフ(Zamenhof)が考え出した、人工的な 国際語。
註3:【Kino-Tag】 映画の日。ベルリンの映画館では、一斉に入場料が半額になる。毎週、火曜と 水曜。
2004年サイトリニューアルにあたり、ふたたび5年前の文章を読んでみて
この文章は友人のHIRO/Habibi君が書いたものなんですけど、話しかけてきたのがキレイな子だからってここまで親切にせんでも・・・・ってそー ゆー話ちゃうかっ(笑) ちょっと話は違ってくるけど、住んでる人に当然のようにどこまでも助けてもらおうとする人っています。在外の方、PCの前で頷いてる方多いんじゃないです か。 もちろん困ってる人は助ける気持ちはあるんですよ。でも~「それぐらい自分でどーにかせいっ!」と言いたくなることってあります。・・・・あ、キツイ?だ からー、人は外国に住むとこういう事件簿のようなことに沢山遭遇して強くなる分、現地ではその強さを他人にも要求するのよ。
ところで、このHIRO/Habibi君のつけたタイトルについて、「情けは人のためならず」というのは「人に情けをかけておくと,巡 り巡って結局は自分のためになる」 という意味ですよ。というご指摘メールをいくらかいただいたんですけどー、本人「真」という言葉を最初につけてるように、そういうちゃんとした意味のこと は 分かってる前提で、違った意味(人に情けをかけて助けてやることは,結局はその人のためにならない)で使ってるらしいので、「諺の意味がわかってない」と 眉をひそめたりしないでください。